Thursday, January 30, 2014

疫病神か?

男二人の次は結婚7年目の夫婦がセーリングクラスの生徒だった。今回は単胴船。この船で教えるのは初めてである。キャビンは船首にひとつと船尾に2つの計3つなので余裕がある。船首側のトイレが古くて使いづらそうだったのでそちらは私達が取り、彼らには船尾のキャビンを譲り、両方とも使っていいからと言った。その計らいが思わず私達の幸運を招いた。

初日はいつものように隣のベクイ島に行き、夕ご飯もいつの如く外食でとなり、ディンギーにエンジンを取り付け、燃料タンクと繋ごうとしたら、何とタイプの異なるタンクで取り付け口が違う。陸はすぐそこなのにディンギーが動ず身動きが取れない。櫓は付いているが、それがセットできるようになっていず、風も強くて流されるの落ち。おまけに日曜日なので知っている水上タクシーも休み。結局、あっちこっちに連絡していつもいくココズレストランに別の水上タクシーを呼んでもらって往復する事ができた。

次の朝、マリンショップで差し込みを買って取り替えようとしたら、タイプは合っているのにちゃんと繋げない。結局、その部分を全部取り外してタンクのホースを直接ディンギーモーターに繋いで何とか走らせる事ができた。足舟が無いとどこにも行けないので、その重要性を再認識。

その後、旦那さんの方が、「実は僕は疫病神と言われているんだよ。僕がいると何かしらの不具合が生じるんだ」と言った。まぁ、偶然でしょうとその時は笑ったが、3日目の夜にバッテリーを充電する為にエンジンをスタートさせようとしたらできない。その夜は諦めて次の日に色々やってみてもうんともすんとも言わない。スクールのメカニックに電話をしたら、ユニオン島まで何とかセーリングして行ってもらえば、そこのメカニックに来てもらうからという事で、トバゴキーから帆だけで行く事になった。

ただ、ナショナルパークになっている程の人気スポットなので、私達の船の回りにはいくつもの船が錨を下ろしている。エンジン無しでは他の船にぶつかってしまう可能性もあるため、パーク費用を徴収しているパークレンジャーに頼んで少し先まで曳航してもらった。

そこから帆を揚げてユニオン島へ。まぁ、帆船であるから何とかなるが、それでも到着したらそれ程広くない湾の入り口付近に錨を下ろすしかない。これは何とか無事にできた。お昼を過ぎてやってきたメカニックは色々とチェックした後に、「スターターがダメになっているから交換する必要がある。ただし、注文しなくてはならないので最低でも数日はかかる」と言った。それでは間に合わない。

結局、彼が何やかややってエンジンをスタートさせる事はできた。ただし、エンジンを切ったが最後、いつスタートするか分からない。保証はできないからスクールに帰り付くまでエンジンを切らない事をお薦めすると言われた。この後3日間エンジン音を聞きっぱなしかぁーとため息が出たが、選択の余地もなさそうだ。結局、70時間程エンジンをふかしっぱなしだった。生徒には気の毒だったが、エンジンは彼らのキャビンのすぐ側にあったので私達はラッキーだった。

さて、翌日の落水者救助の訓練の時、水面に浮かんでいる、人に見立てた救命具をボートフックで引っ掛けて持ち上げようとした際に、運転していた旦那さんがうまくスピードを落とす事ができず、ボートフックごと波にさらわれてしまった。それを取りに行くが何度やってもなかなかうまく行かず参ってしまった。彼はやはり疫病神?

まぁ、本人達は7年前にふたりだけの結婚式をあげた島や、他の希望の場所に連れていってもらってとてもハッピーだったみたいだが(エンジンの音には閉口していたが)、私達にはとっても疲れてしまった1週間だった。(ビールばかり飲んでいる怠け者の旦那と、料理も操船もいまひとつスローな奥さんで、その分私達がやる事が多過ぎて疲れたと正直に言っておこう。)チャーターと勘違いしないで下さいよ。セーリングスクールですよ!

Sunday, January 26, 2014

魚好き

10日程、間が空いてしまいましたが、2週間のセーリングスクールが終わりました。その続きです。最初の週の男性ふたりは魚好き。と言う訳で魚売りが来た時に最初はマグロ、次はスナッパー(タイの一種)を買ってインストラクター候補のジミーが料理してくれた。彼は既にキャプテンとしてチャーターやボートデリバリーの仕事をやっているので、こんな時にはささっと動いてくれ多いに助かる。南アメリカ大陸で唯一英語が母国語になっているガイアナの出身でその英語には強い訛があり、聞き取るのにちょっと苦労したが、若い頃にダイヤモンドや金の鉱山で働いた時の話しはとても興味深かった。一方のエイドリアンはコロラド在住。世界のあっちこっちでダイビングをするのが趣味だが、リタイアしたらカタマラン船を購入してクルージングをするのが夢だそうで、今回のクラス参加はその夢の第一歩。スナッパーを買った馴染みの漁師のパパがコンク貝をサービスしてくれたので、こちらは私がシェビチェを作った。頼んだら魚をさばいてくれたので、4人にビールをご馳走した。パパはうちの船でのんびりと談笑中です。















Wednesday, January 15, 2014

やっと冬型天候

澄み切った空に心地よい風。雨も振らずに素晴らしい天候です。やっと待っていた冬型の天候になりました。只今、セーリングスクールに同行中。生徒は珍しくひとり。それにインストラクター候補の男性も加わって4人です。プライベートアイランドのPetit St. Vincent島の側に停泊中です。


Sunday, January 12, 2014

口を利かない

しばらく前にボブはセントトーマス島でのキャプテンチャーターの仕事を終えて愛艇のあるセントルシア島に戻ってきた。チャーターはどうだったかと聞くと、小さな子供連れの家族4人だから大変だったとの事。8才と10才の男のふたりの躾がなっているとは言えず、親は申し訳ないとは言いながらもそれを正す事をしないので、イライラが募ったらしい。両親はふたりとも弁護士だというので、忙し過ぎて家庭内で躾をする時間が足りないんじゃないの?と言うと、そんな事はないよ、僕の父親も弁護士だけど、小さい頃は良くおしりを引っぱたかれて怒られたもんだよ、親の職業は関係ないよと言った。

それと船での食事が美味しく無かったらしい。お母さんはあまり料理ができず、お父さんが作ってくれたのは良いが、味無し料理でもう少し何とかできないのかと思ったそうだ。下の男の子が水を怖がって泳がないので、他の3人が泳いだりシュノーケリングをしている間はその子の子守り役になってしまった。だけど、どういう訳か子供達はキャプテンにあまり口を利いてくれないのだそうだ。子供のお守りに雇われた訳でなないので、そんな事ならと放っておいたらしい。でも、ボブになつかないとは珍しい。それは躾がなってないかも。大人に対しては尊敬の念を持って丁寧語を使うという事を子供の頃から教えないでどうする弁護士さん!


Thursday, January 9, 2014

天候がおかしい

昨年の夏は東カリブの海は一度もハリケーンが発生せず不思議だとは思いながら、それ以上にラッキーだという有り難い気持の方が強かった。ところが、自然とはやはり侮れない。クリスマスイブに嵐のような天気が発生したのだ。今いるセントルシアのロドニーベイに錨を下ろしていたが、夜になって風向きが刻々と変わり、それが海側からになった時に最悪の状態になり、強風の中、大波に木の葉のようにもてあそばれ船が大きく揺れ続けた。それが一晩中続き到底眠れたものではない。広い湾なので、回りの船との距離が十分にあり、船の向きが変わってもぶつかる心配はせずにすみ、アンカーが流される船も無かったのは幸いだった。

10月の終わりのハリケーンは経験していたものの、クリスマスの時期にこれだとこの先もハリケーン予報解除が遅くなり、海洋保険関係に影響が出て来るのではと思ってしまう。その前後から天気はおかしかったが、年が明けた今もその夏のような空模様が続き、殆ど毎日一回は風を伴う雨が降るというこれまでに無い天候となっている。そのせいで隣の船はニス塗りができずに困っている。貿易風が安定して吹く冬にカリブでセーリングというパターンが崩れるとえらい事なので、早く元に戻って欲しいと願っているこの頃である。


Tuesday, January 7, 2014

田母神俊雄氏(元航空幕僚長)が都知事選出馬と聞いて


3年程前からブログを書き始めた事でとてもプラスになった事がある。それは私自身が日本の政治にとても興味を持つようになった事である。政治や時事関係のお気に入りブログがいくつもあるので、いつもそれらの更新記事を楽しみにしている。インターネット接続の環境が限られていたりするので、自分のブログ更新が後回しになる事もある。

12月26日の安倍総理の靖国神社参拝では、昨年中の彼に対するモヤモヤ状態からやっと気持が開放された。そうしたら、今回は田母神氏が東京都知事に立候補するという嬉しいニュース。石原慎太郎前都知事も応援するとの事。

今、東京そして日本に求められているのは、自分の身を賭してでも国を護るという強く愛国心のある日本男児(女性でも良いが)である。成りすまし帰化人や国を売って保身に回るなんて輩達ではありません。そして氏はまたユーモアのセンスも抜群である。航空自衛隊のトップとして、諸外国を訪問したりと外交にも強みがあると思います。2020年にオリンピックを控え、国土強靭化と安全対策は欠かせない。是非、田母神氏に都知事になって頂きたい!


以下に田母神氏の安倍総理靖国参拝に関するブログと公式サイトのリンクを貼らせて頂きます。



<以下コピー>
2013-12-27 10:00:57

安倍総理の靖國参拝

テーマ:ブログ 安倍総理が12月26日、就任後一年で遂に靖国参拝を実施した。国家のために命を捧げた英霊が眠る施設に、一国の総理がお参り出来ないという異常事態は解消されることになった。安倍総理の英断に拍手を送りたいと思う。中国、韓国などは早速抗議をしているが、内政干渉も甚だしい。今 後、安倍総理が継続的に靖国参拝を行えば、数年で靖国の問題は収まるであろう。中国、韓国は対日外交交渉を有利にしたいがために、靖国参拝に反対している だけである。彼らは外交のカードとして有効である間は靖国参拝に反対するが、役に立たないと分かった時点で靖国参拝問題を取り上げることはなくなるであろ う。

アメリカも、近隣諸国との緊張を高めるとかの理由で、総理の靖国参拝に反対し、在日本米国大使館は批判的な声明を出した。アメリカの本音は日本が自虐史観に拘束された今の状態を維持したいのだ。戦前の日本はろくな国ではなく、正義の国アメリカによって成敗され、戦後アメリカによって民主主義国家に変えられたという歴史観である。全くのウソである。アメリカで黒人が普通に選挙権を持つようになったのは1964年の東京オリンピックの後のことである。別に日本がアメリカから民主主義を教えてもらったわけではない。しかし、この歴史観によって原爆投下も東京大空襲も免罪されるというわけである。

米中韓は、安倍総理の靖国参拝を公正な目で見ているわけではない。それぞれの国の国益のために靖国参拝を批判しているのである。国際政治は腹黒いものだ。信じる者は騙されるの世界である。

戦後の日本はアメリカによって守ってもらうという状態からスタートし、戦後70年になろうかとするのに今なお自分の国を自分で守ることが出来ない。 自衛隊は世界で唯一国際法で動けない軍であるし、自衛隊の戦闘機やミサイルシステムは、その多くがアメリカ製であり、アメリカの継続的な技術支援なしには 動かない。アメリカにとっては日本がアメリカ製の兵器を使ってくれることが大きな利益である。日本が自虐史観から抜け出すことが出来ずにいれば、日本製の 戦闘機やミサイルシステムの開発を思い止まるであろうし、国内法で自衛隊は雁字搦めで動けない。そして尖閣などで中国などに脅かされるとアメリカに頼る。 アメリカは守ってやるから経済的な面で譲歩しろと日本に迫ることが出来る。

安倍総理は、国家観、歴史観がしっかりした人物であり、日本が自主防衛の体制が出来ない背景に自虐史観があることを理解している人である。よその国では歴史認識の問題は過去の問題であるが、我が国においては現在進行形の問題である。自虐史観が、我が国が自分の国は自分で守る体制を作ることを妨害している。その大きな壁が靖国参拝なのである。

大東亜戦争までの世界は、白人国家が有色人種の国家を次から次に植民地にして行った時代である。植民地になった有色人種の国の国民は、どのような生活状態 に置かれていたのか。牛馬同然の場面が多数記録として残っている。鎖で足をつながれていたり、地面に放り投げられたパンを拾って食べるようなことさえ普通 に行われていた。それについて書いた本は戦前の日本には多数あったが、それらの本はアメリカ占領下で7,000種類以上も焼却されてしまった。いわゆる焚 書が行われたのである。焼却された本の名前は全て分かっている。鎌倉市に住む知人が焼却された本の大部分を保有しており、私はその書庫を見学に行った。

大東亜戦争が始まる時点でアジアの独立国家は、日本とタイのみであった。タイは、巧妙な外交を展開して上手く立ち回っていた面もあるが、英仏の思惑 の中で意図的に残されていた面があり、自力で独立を維持していたのは日本だけである。この日本が白人国家の植民地になってしまえば白人国家の全世界植民地 計画が完成するところであった。そして、一旦植民地になってしまえば何百年その状態が続くのか分からない。しかし最後の最後に日本が立ち上がって戦うこと になった。ABCD包囲網が作られ、対米資産を凍結され、石油や鉄など対日輸出が止められた。日本はこれ以上締め上げられたら死んでしまうという状態に なって止むを得ず真珠湾攻撃に打って出た。アメリカが日本を真珠湾攻撃へと誘導していったことは今では歴史家によって明らかにされている。

日本は残念ながらアメリカとの戦争に敗れた。国土は焼け野原になり多くの生命が失われた。しかし日本が戦った結果として、人種平等の世界がやってきたのである。第二次大戦後、有色人種の国が次々に独立を果たしたのは日本が多大の犠牲を出しながら戦った結果なのである。これは私が言っているのではなく、世界の歴史家の多くが認めるところである。日本は世界史の中で、人種平等の世界をつくるために歴史的な役割を果たしてきたのである。今日私たちの平和で豊かな生活があるのは、あの戦争を戦って、国家のために命を捧げてくれた英霊の皆様のおかげなのである。大東亜戦争は聖戦であったのだ。

しかし、戦後の日本はアメリカ占領下で強制された、日本悪玉史観を歴史教育の基本に据えてきた。そのような自虐史観に捕われていれば、我が国は徐々に衰退するだけである。歴史を奪われた民族は必ず滅びる。私たちは早期にこの自虐史観から脱却しなければならない。総理大臣の靖国参拝は我が国が誇りある歴史を取り戻す第一歩なのである。

因みに大東亜戦争という呼称は当時の日本政府の閣議決定である。しかし戦後の米国占領下でこの呼称の使用は禁止され、米国から見た太平洋戦争という呼称を 使うように強制されたのである。歴史は誰が作るのか。それは戦勝国である。我が国は、戦後戦勝国アメリカの歴史観を強制され、いまなおその歴史観から抜け 出していない。正義の国、民主主義国家アメリカ、極悪非道の残虐国家日本という歴史である。

安倍総理の継続的な靖国参拝が日本を取り戻すことになる。

<コピー終わり>

Monday, January 6, 2014

写真、せっかく撮ったから追加です。

ピジョンアイランドのある町Gros Isletの写真を追加で載せます。








Sunday, January 5, 2014

展望良し!

バスの旅に味をしめ、今日は反対側に行く事にした。と言っても、目的地は昨日に比べれば距離的にはすごく近い。いつも錨を下ろすロドニー湾の入り口にあるピジョンアイランド(Pigeon Island)にはいつか登ってみたいと思いながら、何故か実行した事が無かった。いつでも行けると思って、ニューヨーカーがマンハッタンの自由の女神に行ってみようと思わないのと一緒か?

何故今まで来なかったんだ!と思う程の絶景と時折強風になる涼しい風に吹かれて今日もひとり旅を満喫しました。ここから25キロほど北にあるフランスの島マルティニークと睨み合う形で要塞があった名残があちこちにあり、欧米が植民地争いでカリブの島々を奪い合った頃の兵士達の厳しい生活環境も伺えますが、平和な今はナショナルパークとなっており、今日も数多くのヨットが2つの島を行き来している。

写真は250枚程撮りましたが、今日はその一部をアップします。因みにバスに乗ったのは行きの5分程。その先と帰りはずっと歩きました。3時間半は歩きっぱなしだったので、久しぶりに良い運動になりました。

















Saturday, January 4, 2014

バス旅は楽しい。

三が日内はボブとの約束の船のメンテナンスにも手を付けずにゆっくりしようと思い、今日はバスで20分程離れたセントルシア島の中心地カストリーズ(Castries)に行ってきた。こちらには大型クルーズ船が寄港するが、今日はその日では無いらしく一隻もいなかっ
た。


これではもしかしてお目当てのマーケットも休みかなと思ったらさにあらず。ちゃんと開いていた。と言っても、ひとりだけの生活にはそれ程買う物も無く、あっちこっち見るだけで結局買ったのは青ネギだけ。


せっかくだから、ひとりで侘しいけど早めのランチを摂る事にした。初めての場所は多少尻込みをするが、小さな通りを2往復した後に、ちょっと前に団体で席が埋まっていたお店に決めた。お魚は何があるかと聞くとマグロだと言うので、刺身や寿司、それにたたき以外のマグロにはあまり気持が動かないので、ラム肉の煮込みを注文した。それにご飯と芋類とマカロニパイを選んだ。ラムがとっても柔らかくてなかなかのお味。


その隣の小さなテーブルで小麦粉とおやきみたいなスナックを売っていたので、それもひとつ買った。またバスに乗って戻った後に待てずに味見をしたら、これが予想とは違って美味しく無い。。ベリー類の酸味のあるフルーツ味がというより、食感がダメだ。残念。




それにしても、バス(というかバン)に乗ってどこかへ出かけるのはとっても楽しい。次は反対方向に乗ろう。

Thursday, January 2, 2014

新年明けましておめでとうございます。

平成26年が、皆様に取って良き年となりますようにお祈り致します。

こちらセントルシア島のロドニーベイマリーナでは、1月1日の午前0時に花火が打ち上げられると聞いたものの、それまでに起きている事ができずに、大晦日の夜はぐっすりと眠りに落ちました。

明けて翌朝、気づいたのがドックに繋いだ電気が停電になっている事。よもや花火とは関係ないのでしょうが、祭日とあってマリーナの事務所は休み。唯一いるセキュリティの人に告げたものの、彼にもなす術は無く、結局事務所が開く2日の今日まで持ち越しです。

回りの船がバッテリー充電の為に、エンジンをふかしています。すぐ隣の船は電気コードを繋いでいないので、係留した時から日に何回かエンジンの音を響かせていましたが、昨夜は夜の11時半過ぎてもその音が止まず。新年から文句は言いたくないものの、心の中では日中にやって下さいよと毒づく。さて、今日は電気が繋がる事を願います。念のため、一番電気を喰う冷蔵庫を一時停止中です。

そんな感じの年明けですが、本年も宜しくお願い致します。